だから信じると 貴方は小さく笑うから
A too gentle
palm
薄暗いラボの中では、ひっきりなしに機械音が鳴り響いている。
見慣れた診察台の上には見慣れた『患者』の姿。
自分のしなやかに動く指先はきっと慣れてしまったからか、それとも身体に染み付いてしまった動きだからだろうか、止まることなく動き続ける。
しかしいつもと違うことが1つだけあった。
それは落ち着きがなく身をよじるなり他愛無い冗談を言い合ったりする例の患者は、今回はやけに大人しい。
そのおかげで無駄に長引くこのリペアも速く終わりそうだと思い、手元を休ませた。
その時、ふと見た彼の顔。
眠っているのか分からないが、あの蒼い瞳は閉ざされている。
だらりとしたまま伸びる腕、縮こまるように揃えられている足。
そして、自分の手元が這うのは彼の発声機能がある喉の箇所。
「・・・・・・」
手に持っていた器具を横に置き、喉の部分から手を話すと、彼の瞳に色が戻り始めた。
作業が終わったと分かったのだろう、縮こませていた脚をゆっくりと伸ばしていく。
「バンブルビー今日は此処までだ。どうだ調子は」
『 』
問いかけに答えたのは搾り出すように出された電子音。
それに対し、そうか、と言葉少なげに伝え道具整理に手を動かし始めた。
これがこのときの自分のやるせなさを少しでも紛らわしてくれるものだから。
この作業を続けてきて彼の声が出た事はまだ一度もない。
何度検査しても、リペアをしても彼のモジュールは回復することなく唯時間だけが流れ、深い痛みと傷跡だけを残していく。
しかし諦めてはいない。
諦めてはいけないのだ。
その途端に自分自身や他の仲間を、何よりバンブルビーを裏切る事になるから。
微動だにしない彼を横目にそんな考えを浮かばせながら整頓をしていたのだが、作業が終わりに近づいてきても彼に動く気配はない。
いつもなら終わったらすぐさま御礼の言葉を述べるなり部屋から出て行くのだが今日は違ったらしい。
まどろむような表情、それにだらりとした身体から、取り合えず疲れていて眠いということが伺える。
同時に、先ほどから感じる目線。
眠たげにまどろむ瞳が一生懸命に追うものは、自分の顔ではなく引っ切り無しに動く手の方だった。
特に気にしてはいなかったのだが、こうずっと見られているというのも逆に気になってしまう。
ちらつく目線に耐えかねなくなり、その際の事を一旦止め、診察台に頬杖をついて彼の表情を見た。
さほど変わらない近さ、少しでも身をのりだしたり手を伸ばせば届く距離。治療しているときとは違う見方も楽しいものだと考えた。
「どうしたんだ、もう一度ボディチェックをうけたいのか?」
冗談交じりに言った言葉を真面目に受け取ったのか首を横に振り否定的な眼差しで縋られる。
「そんなに嫌がらなくてもいいだろう」
ほんの冗談だと伝えるとからかわれた事に不満をもったのか、ふん、と鼻をならして診察台の上でごろりと寝返りをうち此方に身体をむける。
暫くして落ち着く場所を見つけたのか安心したように更に脚を伸ばし、此方を指で軽く突いてきた。
何か伝えたげに合わせられる目線を受け取り、落ち着き払ったように咳を返す。
「何だね?」
軽い問いかけに焦らす様に小さく笑う彼。
先ほどの冗談をお返ししているつもりかとつくづく子供だと鼻で笑う。
「そんなに言いづらいことなのか?もしかしたら私にじっくり再メンテナンスをしてほしいか、それとも手取り足取り私が色んな教育を教えてあげようか?」
その言葉に手足をじたばたさせながら否定の動作を繰り返す。それと同時に、まるで笑い声のような高らかな電子音が心地よく響く。
徐に片方の台の上を小突いていた手にそっと触れられ、その時の柔らかな表情にいささかの感情を奪われる。
先ほどの子供じみた表情とは全くもって違う一面に、こんな顔もするのかと考えてみる。
そんな自分の心境を悟られないよう、頬杖をしていた手を顔を隠すように掌で覆わせる。も
う片方の手は一回りも小さい彼の手で覆われていて、指先を一本ずつ確かめるように触れられている。
そしてバンブルビーから送られた電子通信が送られた。
それはとても短い言葉で。
「・・・私の、手か?」
その問いに素っ気無く頷き、ぎゅっと包み込むように握られた。
彼から送られたメッセージは、この手が好きだ、というとてもシンプルなもの。
しかしその言葉を受け取った自分には喜びはあまりなかった。
何故、彼が自分の手を好きなのかその理由が分からないと、複雑な思考回路が単純に動いたからだ。
自分にとって、この手はある意味戒めに近いものだ。
過ちを犯してはいけない、間違いを犯さないように注意しなくてはならない、それだけをつめこんだもの。
そんな掌を、何故バンブルビーが好きなのか?
思わず、胸が痛んだ。
「バンブルビー」
『?』
「私の手は」
言葉が、詰まる。
「お前を、未だ治すことができないんだ」
まるで偽善者だと思うほど、平然を装って嘲笑う自分がいた。
言葉が、乾いたまま発せられる。
自分に幾重もかかる物事。
彼を、バンブルビーを治せないという自分の不甲斐無さ、彼の心境、周りからの期待と信頼。
全てが自分に圧し掛かっていくのを仕方がない事だと、コレは自分にしか出来ない事なのだと何度も言い聞かせてきた。
だからいつものように振舞えるし、あの日のように判断をつかせることも出来た。
唯一の自分を、悟られないようにと。
機械音、振動音、壊れそうなほどか弱い吐息。
その音に紛れるように、らしくない溜息を零す。
バンブルビーは、いつもとは違うラチェットに不安を抱いたのか診察台の上から少し身を乗り出した。
ラチェットがふと視線をあげると、直ぐ目の前に彼の顔がある。
もう少しだけ、ほんの少しだけ近づけば触れられるような距離。
真っ直ぐに此方を見つめる視線は戸惑い気味にどうかしたのか?と問いかけているようだった。
誤魔化すように軽く笑ってみせる。
「心配するな、きっと直してみせる」
『 』
「なんだ?」
すぐに、間髪をいれずに入ってきたメッセージ。
『 』
『 』
「分かった・・分かったから、バンブルビー」
言葉で征し、身を乗り出す彼をそっと診察台の上に横たわせる。
「私は大丈夫だから・・・・・・だからもう休め」
こくりと頷き再び横になるが、しかしまだ何か言いたげに電子音を小さく鳴らす。
「おやすみ、バンブルビー」
なだめる様に頬に手を触れ、あやすように唇を寄せる。
くすぐったげに目を細めて微笑む表情を見てつられて笑って見せた。それをみて彼も安心したように瞳を閉ざす。
先ほどのように、また蒼い光が閉ざされていくのを見つめた。
それが一瞬だったのかも、酷くゆっくりだったのかも分からないほどその蒼が思考に浮かび上がる。
暫くすれば、完全にカームモードに入ったのか寝息にも似た微音が心地よく聴こえてくる。
それに伴ってまたいつもどおり感じる振動音が伝わり始めるのだ。
椅子から立ち上がろうとしたとき、彼が自分の手を掴んで寝ていて結局その場から動く事ができなかった。
もぞりと手を握ったまま寝相を変える姿に苦笑を抑え切れなかった。
そしてじっと、その手を見つめる。
小さな両手で包み込まれた自分の掌は、酷く心地が良い。
『・・・・・・バンブルビー』
そっと、通信チャンネルで眠る彼に言葉を送る。
『きっと、治す』
『きっと』
お前が好きだといった掌を、貴方の為に
『大丈夫、お前は誰よりも』
誰よりも強いから。
まどろみの中に、この言葉は彼に届いたのか。
緩んでいく思考回路の中で最後に残って言ったのは、貴方の、小さなメッセージ
『ラチェットだから、おいらは信じていけるんだ』
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